卯港語録

「私の絵」
私は、今、鳥が好きだ。若年の頃、私は塔に憧れた。鳥の羽のような屋根。塔を求めて、斑鳩の里、佐保路、飛鳥路を歩き廻った。古い民家の小道から、田圃の畦道から覗く姿に恋人のように狂喜した。薬師の塔は華奢な美人、法起寺の塔は男性的な大ワシ。描き、少し満足した。夕暮れ、シルエットになった鳥たちの今にも飛び立つ姿に、天上への鐘を聞いた。
 未来の暗示、今の夢、日々の行為等、すべて画面の中にある。欲望もそこにある。おのずから、しみ出るのはしかたないとして、画面の中では、私は自由なボヘミアン。鳥になり、時には若い婦人にも、僧侶に、俳人にも…・。酔っ払って花の下に狂気じみてたむろする。茶人で野点しているなら立派なもの。隠者のごとく洞穴にもいる。近頃は世捨て人のように山村で、ぼんやりと河音を聞く事も多くなった。
どうやら私は、聖人君子。ダメな男なんて大キライ。エレベーターで、心を最上階に運び消滅したいのだ。
パチンコで、しこたま負け、しげしげ似た男たちを見ている。未来から現実に引き戻された。自分との距離のない私。駄目な男と水商売の女というタイトルのえを考えてみた。
頭を壁にぶつつけたい、本当の私。

「遺書を描く」
今回、命と絵について身をもって考えさせられた。体重は8kg減。遺書のつもりで描けと魔人の文章が来た。 いずれ人は死ぬのであるが・・・・。明日をも知れぬ。腰が痛くて薬がないと眠れない。 ビールが飲めない、うまくない。胃が悪くて口が苦い。 缶詰状態で出られなくなって、描いては眠る日々。ストレスが溜まり始めた。  幸いなことは、出品作品が先に選定されたこと。それに集中して的がしぼれる。なんせ600点の子が、いまだ成熟をまっているのだから。 とりあえずは、自分の色を出そうとした。月が右に左に移動。あいかわらず構図はむずかしい。  私は4度、水に溺れ、その都度不思議と助けられた。生まれ育つとは、人々の多大な助けと犠牲。美をはぐくんでくれた、毛馬洗い関、赤レンガのアーチの水門、夕日、蕪村の春風馬堤曲の碑、人々との別れ、遠くの女学生達の甘い香り、はなやぎ。若草の頃・・・・ 青春は悲しい。
しかし、街も変わった。わたしの作品についての考えも変わった。
通り過ぎる家々、窓明かりから洩れる家族の声、その暖かさ、夕餉のにおい・・・・ドラマ。
いつも傍観者で通行人の私。母を待つ一人っ子は原点。だが成長してからは子離れしない母から逃げる日々。最初は島原遊郭――悲しい女を捜そうと思った。天下茶屋、天神の森とアトリエを変わる。
母の幸せには絵バカなど必要でない。仕事を辞めるなら私を殺してからとよく言った。純なしぐさのかわいいクリスチャン。時々は放蕩息子も帰宅した。
はてはて、思わず遠くへ来た・・・・・・・。
さて 又 遺書を描かなくては・・・・・・。死力を尽くさないと得られないステージの為に・・・・・。

タカノ卯港