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Gallery Shimada deux

山本宗補写真展> 2007.1月20日(土)〜25日(木)

−老いの風景 また、あした−

山本宗補写真展  この展覧会の初日、1月20日(土)午前1時台、つまり19日(金)の夜に始まる「ラジオ深夜便」の「人ありて街は生き」というコーナーに山本さんが登場します。聞き手は西橋正泰アナ。松村光秀さんの深夜便のお相手でもありました。すでに収録を終え、充実したお話で、いつもより時間を延長しての放送になるそうです。

山本宗補(やまもと むねすけ):1953年、長野県浅間山ろくの生まれ。
・アジアを主なフィールドとする、フリーランスのフォトジャーナリスト。
・1985年のフィリピンの飢餓問題の取材を皮切りに、報道とドキュメンタリー写真の分野の取材開始。1991年のピナトゥボ火山噴火の取材、ビルマの少数民族問題、民主化闘争の取材、共同通信社が新聞協会賞(1997年度)を受賞した国際通年企画、「生の時・死の時」の写真担当。「老い」のテーマは1999年から撮影を始める。

「また、あした 日本列島 老いの風景」(アートン)2006年8月刊行
共催:阪神高齢者・障害者支援ネットワーク
   創作グループ965の会

「(財)ひょうご震災記念21世紀研究機構」と「ひょうご安全の日推進県民会議」の助成を受けています。

◆1F deuxにて
 12:00〜19:00
※火曜日は〜18:00、
最終日は〜17:00まで。

【関連企画】山本宗補トーク 23日18:30〜
※詳細はASKサロンスケジュールを御覧下さい。
※山本さんは23日、24日と在廊予定です。

山本宗補さんホームページはこちら↓
http://homepage2.nifty.com/munesuke/

>> ■会場の様子

「老い」の取材は阪神淡路大震災がきっかけをくれた

私が「老い」をテーマに取材を始めたのは8年前になるが、きっかけをさかのぼると、11年前の阪神淡路大震災にたどり着く。その頃、ビルマ(ミャンマー)で取材中だった私は、民主化運動のシンボルであるアウンサンスーチーさんの自宅軟禁解除を待っていた。解放の希望的観測が流れていた。ある日、地方の撮影から首都に戻ると、イスラム教徒の知人の父親から電話があった。「日本で大きな地震がありました。ご家族が心配ですね」。テレビのニュースで見る大都会神戸は、もうもうと立ち上る煙と炎の中にあった。海外の紛争地や災害現場の痛ましい光景は多少見慣れていたが、被害の規模に呆然とした。

結局、アウンサンスーチーさんは解放されず(現在も自宅軟禁だが)、軍政による武力侵攻が逼迫する国境地帯の少数民族、カレン民族の窮状を取材してから帰国した。被災地の神戸に立ったのは2月に入っていた。写真を撮り始めるには遅すぎ、ボランティアを申し込んだ。事務局から指示されたのは、長田区役所前の公園で炊き出しをする在日イスラム教徒のパキスタン人ボランティアグループの手伝いだった。自宅が全壊したのにボランティアに専念する被災者のおじさんも加わっていた。実家はお寺さんだと聞いた。カメラはバッグの底にしまった。底冷えのする公園のテントで寝泊まりし、大釜で煮炊きした熱いスープを小型トラックで、近隣の小学校などで避難生活する被災者に届けた。

ある日、首からカメラを下げ、大学ノートを手にした取材者が立ち寄った。信州から来た須田治というジャーナリストで、仏教系の雑誌に震災のルポを書くといった。初めて会う彼とは同郷で同年齢という偶然が重なった。後日送られてきた掲載誌を読み、須田さんが弱者の気持がわかる、秀でた文章を書くジャーナリストだと知った。

信仰の枠をこえて助け合い支え合う人たちが集まる場で、須田さんとの出会いが生まれた。それがきっかけでコンビを組み、「老いの風景」のタイトルで新聞に連載を開始したのが8年前。4年後の2003年まで、須田さんとの充実した仕事が続いたが、あっという間に彼は病気で急逝し、旅立った。

「老いの風景」は彼のテーマだった。彼が旅立ってからは私自身のテーマともなり、写真という映像で私なりの「老い」をとらえようとしてきた。偶然の積み重ねに感謝しつつ、宝物がたくさん詰まるお年寄りの姿を、記憶と共に写し込みたい。一枚の写真の持つ力を信じながら。


2007年1月   山本宗補(フォトジャーナリスト)

■会場の様子

会場の様子
 
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