鴨居語録
(親しい友人達からの聞き書きから構成)

知り合いの画家さんが鴨居さんの絵の前でポツリ、ポツリとしゃべる。

 玲さんと、ずっとデッサンをしていて、ある日「S君なあ。君はデッサンはうまい、そやけど絵は手の汚れ、爪の垢まで描かんとあかんのよ」と言われたのが今でも強く残っている。

とにかく人間が好きなんです。

 私は。それから、いままで若い女性を描かなかったのは皺がないんですよ、彼等には。人生の何かがでてこないいんですよ。のっぺらぼうで。
老人の皺には彼等の何十年か生きてきた、人間のいろんなものがあらわれてる。
(木下晋さんも同じ事を言ってますね)
 個展の仕事が終わって、その解放感と、たったこれだけの事であったのかとの絶望感が入り交じって、奇妙な気持ちの毎日です。もっとも、この絶望感が、もう一度、ためしてみよう、ためしてみようという、私の生きる手がかりになっているのかもしれません。

犬の話しをいたしましょう。
 血統書がまいりました。オランダの牧場生れの由、生年月日の間違いが判明。3月14日現在で生後4ヶ月です。体重はすでに21、5kg、一週間に1kg強のわりあいで太っております。まるで風船のふくらむのを、ながめている様なアンばいです。(3月16日現在22kg)
 体ばかりが大きのですが、なにしろ、まだまだ赤ん坊。甘えに甘えております。食事は、一日に、肉1kg、牛乳1リットル、御飯ドンブリ一杯、ニンジン二本、生ヤサイの葉数枚、したがいまして、私は野サイ食を主にしたものに切りかえさせられました やむを得ません。
 此の種の犬は、はじめて、なにしろ超大型犬ですので、性格も非常におっとりしとりまして、人や犬をみても、全く問題にせず、恐怖心も無し、故に、ドロ棒の番は駄目
「それじゃ、チイターよ、お前の仕事は何か?」と問うと、即座に答えて曰く、
「セニヨールよ、私は雪の中で行き倒れている人を救助するのが私の仕事、かしこい犬は、首にコニャックのタル、少々出来の悪いのは、ブドー酒入りのタルを持つことになっておるの」
それではというので死んだ真似をしてみますると、これはよい遊び相手とばかりに、かみまくられて、風呂に入っても、飛び上がる程、体中生キズだらけ
「チイターよ、お前は本当に、人を助ける犬やろか、どうも信じられんなあーー」
「セニョールよ、お前の演技が、あまりにもまずいのです。それに私は生れてまだ間がないものでーー」
 お手はすぐにおぼえました。此の頃やっと「ワン」というのをおぼえたのですが、止め方がわからず、チイターの方ヨロコンデ連呼しておりますが近所の手前、非常に現在困っているところ。

閑話休題

 私の家の近くに、ブローニューという森があります。昔、三銃士達が決闘をしたりしたところ、そこに毎週、土、日、犬好きな人達が、散歩を兼ねて、あつまる広場がありますので、私もチイター君をしたがえ、はなばなしく登場、日本では、めったにお目にかかれぬ、グレートデン(仔牛位の大きさ)ドーベルマン(大型、猛犬)セパード、ボクサー等が集まっておりました、見るからに、おそろしげな その大型犬の群れの中に吾がチイター君は、私の止めるのも、なんのその、ノコ、ノコ、ノコと飛び込み、グレートデンや、ボクサーを追いまわしはじめ「大人の話しに入ってくれるな!!」とばかりに彼等は、めいわく千万という顔で逃げまわっておりました。
 ぬいぐるみが、動き出したようなもので、万場の拍手カッサイをうけておりました。
 親バカもよいところです。然し、文学も芸術も、人生も語れぬ人間を相手にするよりはチイタの顔を眺めている方が、なんぼかよろしい。
(私もロンドンのハイドパークで何度もこんな光景を目にした。拙著“忙中旅あり”に
 同じような文章を書いているので、つい鴨居さんの愛犬の話しの聞き書きが微にいり細に入ってしまった。多くの友人の話しから再構成しました。厳密な鴨居先生の発言ではありません)

犬の続報

ご迷惑ながら「チイター世」の報告。
 4月5日現在で28kg、此の手紙到着頃は多分30kg位、三日に1kgの率で増えております。
犬と遊んで、傷だらけの私の手を見た、画廊のマネージャーが「それは良い事ではない。何故ならば、お前はボスだから」東洋と西洋の(大げさですが)犬に対する考え方が、異り興味深い発言でした。(これは人間に対しても同様で、白人が支配した、それらの土地の人間に対する態度とも共通するものがあります。会田雄次さんのアーロン収容所参照ありたし。)
犬にワンや、お手を、おぼえさせても、白ん坊には意味の無い行為、彼等に必要なのは「待て」「進め」といった、たぐいの絶対服従(注:傍線を入れて、字も大きく強調)というものが大切なようです。故に、広場に、どれ程沢山の犬が、走りまわっていても、ケンカをしないという事です。
 犬から話は飛びますが「3十3は6なのだけども、ひょっとすれば、あの人は3十3は8と思っているかもしれない、だから、あの人の領境は、おかすまい…・。」と言った物の考え方、これだけは白ん坊の社会が羨ましいです。(中略)
 さて、吾がチイタ君は、毎朝7時頃、「オッサン、まだかーー」といった調子で、鼻で私の頭をつつき、耳をペロペロなめて、おこしにいりますが、此の時、ほんの少しでも動いたり笑ったりしますと、そっれ、と飛びかかってまいりますので、狸ねいりをきめこみます。あいつも枕元で「ほんじゃーー」と、ともに狸寝入り。
11時、第一回の朝の散歩、珍しい犬なので、近所の広場せも、駄犬共をつれた人達の中央で、私達は、ふんぞり かえるのであります。
 まずは運動と、デモンストレーションを兼ねてと、棒切れを、ポーンとほうりますと、わが「チイタ一世」は、すこしも動ずる色なく、私を見上げて、ニッコリ、ほほえむのみ、満場失笑の中を「今日は調子がわるいのかな ヨシヨシ」と早々に退場、かねがね犬好きの、これまた近所のカフェーの入り、ボーイや主人からの賛ジを聞きながらの、モーニングコーヒー、チップはコーヒー代と同じ位にはずんで店を出る、といったのが私の朝の日課であります。
(1976年5月4日パリ)

「飛んでから見る人生」

 私の性格として、いや全くの本能的なものとして、“飛ぶ前に見る”人をどうしても信ずる気になりません。(善悪を述べているのではありません)とかく飛ぶ前に見る人は、とても美しいすりかえの論理を使用する時がある故にです。
 しかし、“飛んでから見る”という人生。これはホンマのところしんどい事でまあります、実感です。
たぶんフルいと、若い方に言われるでしょうけれども、私には、これしか、この方法でしか“生きようが無い”“生きる意味が無い”といった人生を、少なくとも物を創ろうとする人間はえらぶべきでしょう。(マドリーにて。プラドで会った画家に)

大砲を手に入れました

 この前、金沢で古い大砲を手にいれましてねえ。江戸時代の、これ位の(手で大きさをしめす)。撃つことだってできるんですよ。榎忠(大砲のパフォーマンスで名を馳せる)の鼻を明かそうと思ってね。文献を捜しているんです。(海文堂書店にて)