島田誠の蝙蝠日記
2012.01
様々な思いが去来する年の暮れ。
力むこともなく淡々と、しぜんに目覚め、体が要求するままに寝る。起きればなすべきことをなす。 「おはよう」「いただきます」「ありがとう」を繰り返すように日々は流れる。しかし、ことは起こる。
わたなか(海中)を漂流しゆくたましいのかなしみふかく哭きわたるべし
福島泰樹
宮城県沿岸部の津波地区の粉雪舞う黙示録的風景に佇み、また盆の気仙沼の港を洗う波音と人々の貌に刻まれた尊厳にたじろいだ。
「花や何 ひとそれぞれの涙のしずくに洗われて咲き出づるなり 花やまた何 亡き人を偲ぶよすがを探さんとするに 声に出せぬ胸底の想いあり」 石牟礼道子氏の「花を奉る」の一節
私も東北へと赴く
雨ニモマケズ 風ニモマケズ アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レズニ ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ 東ニ病気ノコドモアレバ 行ッテ看病シテヤリ・・・
その地で「東北のことは東北の手で」という「アーツエイド東北」が誕生し、神戸の経験が東北で、さらに発展して出帆した。
残された者の務めSurvivor’s Dutyとして。
「今出来ること」という一人ひとりの小さな道が一緒になって大きな道へ
どんな困難も乗り越える力となる〜
Resilience will Overcome Any Disaster〜(レベッカ・ソルニット)
宮沢賢治の声が響きわたる
職業芸術家は一度亡びねばならぬ
誰人もみな芸術家たる感受をなせ
個性の優れる方面に於て各々止むなき表現をなせ
然もめいめいそのときどきの芸術家である
「農民芸術概論」から。
「絵に生きる 絵を生きる 五人の作家の力」を上梓することが出来た。 多くの感想をいただいた。なによりの喜びである。さらに多くの方に静かに広がっていって欲しい。 なにか大切なことが伝わると思う。それは「生きる」ということについて。 みんなそれぞれが表現者として生きているのだ。絵を描いているから芸術家なのではない。 絵を売っているから文化事業なのではない。 挑戦するアーティストを支援する基金が今年(2012年)で20周年となる。 純な志をつないで芸術文化の助成に特化した全国初の公益財団法人「神戸文化支援基金」の誕生。 しかし明日の灯火は見えない
「明日のことは明日にまかそう己れよりおそろしきものこの世にはなし」
山崎方代
いざや寝ん元旦はまたあすのこと
蕪村
あすは元日が来る仏とわたくし
尾崎放哉
揺るぎなく 解き放たれて
とても穏やかとはいえない日々に追われてきた。心を痛めるという言葉すら使うことが出来ない。
しかし、振り返れば私もギャラリーも大きな恩寵に恵まれて今ある。
すべてにおいて為したことが、地下水脈を滾々(こんこん)を沸きださせるように大地を潤し、困難にある人たちに寄り添い、孤独な魂と共にあることを願ってきた。石井一男さんへの願いは、そのまま私達に返される。世界がもっと美しく優しく慈愛にあふれたものに向かうように共にありたい。
現在の財団の基となった亀井純子基金は1992年に設立されたが、最初は兵庫県教育委員会から内規として無理だと言われたのが弾力的に運用していただき公益信託の認可をいただいた。
私は決して行政とうまく付き合える人ではないが同じ年に神戸市文化奨励賞を受賞し、亡くなられた笹山幸俊市長から表彰状をいただき、その賞金が「基金」の礎の一つとなった。
公益信託から一般財団へ、公益財団へと、すべて驚くほど協力的な運用をしていただいた。 ちょうど一年前に兵庫県から「災害対策全書」の執筆を依頼され「震災復興における文化復興支援策」を書き上げて2ヵ月後に「3・11」が起こった。まだ刊行されていなかった私の小論を公開する許可をいただいた。それが「アーツエイド東北」が迅速に立ち上がることを可能にした。
私は到着した わが家に、
いま、ここで
揺るぎなく 解き放たれて
私は安住する 究極の今に
ティク・ナット・ハン
日々、わが家にいるがごとく穏やかに、すべてのことに関わり、繋がったすべてのことが新しい善き意思を生み出していくことを祈っている。
皆さん、いいお年を!!

