石井一男個展> 2007.9月1日(土)〜12日(水)
石井一男の「女神」が「女人」になった。悲しみや苦しみを昇華したイコン(聖画)から今まさに悲しみや苦しみや喜びや怒りさえも内に秘めた女人がここにいる。
ルポライター上原隆さんが朝日新聞に3回にわたって石井一男さんについて書かれた文章をご了解を得て画廊通信に掲載させて頂きました。久しぶりに石井さんの大きな展覧会です。石井さんの制作への姿勢、生き方などは、現代において貴重です。来年はギャラリー30周年を記念して画集を出したいと思っています。
島田 誠
◆B1Fにて 12:00〜19:00
※火曜日は〜18:00、最終日は〜17:00まで。
「にじんだ星をかぞえて」
月曜日 朝日新聞(夕刊) 上原 隆(ルポライター)
○画家(上) 不安から逃れるために描く 2007年7月30日(月)掲載
棟割り長屋の2階、6畳と4畳半を素通しにした細長い部屋の中央に机があり、男がいすに座って絵を描いている。絵の具で厚く塗り固めて乾いている表面に、色鉛筆で線を描いていく。コリコリと音がする。
ここは神戸市兵庫区にある画家・石井一男(64)の家だ。大正時代に建てられた長屋は震災にも耐えて、40年近く石井はここで暮らしてきた。
白髪を短く刈った石井はグレーのズボンに白の半袖シャツを着ている。窓と押し入れにすだれがかかっていて、テレビには新聞紙がかぶせてある。ほとんど見ないのだという。幅2メートル、高さ1メートルのカセットテープ入れがあり、中に落語や朗読や歌謡曲のテープがぎっしりと詰まっている。
毎日、午前6時に石井は起きると、近くの会下山に散歩に行き、パンと牛乳を買って帰り、朝食をとる。8時には机について絵を描き始める。昼になると、近くのデニーズに行って、ハンバーグ定食を食べる。主婦たちがワイワイとおしゃべりをする中で、ひとりポツンと座って食べている。
週に1回、施設に入っている88歳の母親を見舞いに行く。
父親が戦死したために、石井は母親と2人で暮らしてきた。
高校を卒業した石井は、最初に運送会社、次に市役所に勤めた。どちらも1年足らずで辞めた。
「人とつき合うのが苦手なんです」石井がボソボソと話す。「無口だし、話がうまくできないし、自分には会社勤めはできないと思いました。つらいですよ」
石井はなるべく人とかかわらずにすむ仕事を探した。その結果、レストランの皿洗いやビルの掃除といったアルバイトをすることになった。夜間の大学に通い、油絵を描き始めた。公募展に出品して入選した。しかし、絵を描く仲間とのつき合いになじめず、絵筆を折ってしまう。同じ頃、画材屋の店員をしている娘とつき合った。2人で鎌倉へ旅行もした。石井は彼女が好きだったが、彼女は石井の収入では不安だといって去った。
仕事からも恋愛からも見放され、30代から40代にかけて鬱々として過ごした。仕事は地下鉄の売店に新聞を届けるアルバイトだけで、月5万円の収入しかなかった。家は母親名義だったので家賃はいらなかったが、ほとんど食べるだけで精いっぱい。気分がすぐれず、肩で息をして、すぐに咳が出た。いつも不安だった。
45歳になった時に、再び絵筆をとってみた。手を動かしていると、その時だけ、不安から逃れることができた。
○画家(中) 画廊主はため息をついた 2007年8月6日(月)掲載
「絵を描いていると…」石井がゆっくりと言葉を選んで話す。
「気が休まるんです。だから、自分のためだけというか、自分の慰めとして、描かずにはいられない感じで、一日中描いてました」
アルバイトに行く3時間をのぞいて、ずっと部屋にとじこもって絵を描いていた。描く絵はどれも女性の顔だ。何枚も描いた。見てくれる人は誰もいない。来る日も来る日も自分のためだけに描いていた。
なぜか、自分はもうすぐ死ぬだろうと石井は感じていた。そんな時に、画廊に置いてあるチラシを読んだ。当時50歳だった画廊主の島田誠が書いた文章が心にくい込んできた。
大病から回復した島田は、自分に与えられた時間は残り少ない、画家が精魂込めて描いた作品と出会い、紹介することのみに打ち込みたいと書いていた。 この人に絵を見てもらいたい、石井はそう思った。
石井が連絡してきた時の様子を島田からきいた。
画廊を経営していると、絵を見てほしいという電話がしょっちゅうかかってくる。そのほとんどは趣味の絵かきで、驚くような作品に出会うことはめったにない。石井からかかってきた電話もそんな1本だと思った。電話口で石井は島田の文章に感動したと何度もいう。その声に必死さがあって、島田は電話をきることができずに困った。「ともかく、一度絵を持ってきて下さい」と島田はいった。
数日後、大荷物を持った顔色の悪い男がやってきた。男は「石井です」と名のった。島田はキャリーに積まれた100点近い絵を見て、<時間がかかるな>と思い、ため息をついた。
石井は緊張しているのか、せき込み、言葉もはっきりしない。「ともかく、絵を見ましょう」島田はいった。
1枚、2枚、3枚と見るうちに、<これはいい加減な気持ちで見てはダメだぞ>と思い始めた。素人の手遊びではない。島田は絵に惹き込まれていった。
「どの作品もうまい下手を超越していた」と島田はいう。「純なもの、聖なものに到達している。思わず『なかなかいいですね』とつぶやいてました。本当はね、『すごいですね』といってあげたかったんですけど、なにしろ世間から隔絶して生きてるような感じだったので、急激なショックを与えてはいけないと思ったんです」
これだけの作品を描ける人が49歳まで無名で、どこにも発表せずにいたことに島田は驚いた。
後日、島田は石井に個展の開催を約束した。
■会場の様子 ※画像をクリックすると拡大して表示されます。